薬剤師として、今できること

迷ったときはとにかくチャレンジしてみる

ならは薬局で管理薬剤師を務める飯塚さんは、薬剤師の資格を取得後、研究所や病院、介護老人保健施設や薬局などに勤務してきました。その中で特に薬剤師としての原点となったのが、かつて勤務していた病院での経験です。

介護保険法が施行される前でしたが、訪問看護ステーションがあったことや、病棟業務を通して多職種と連携して患者様のために活動した経験から、「病院や薬局の中で仕事をするよりも、地域に飛び出していくのが好き」だと気づきました。
現在は、地域医療や在宅医療をはじめ、災害医療支援薬剤師、学校薬剤師など、地域住民のために精力的に活動しています。

「以前、ある方に『迷っているということは、それをやりたいという気持ちがあるということだから、結果はどうであれ、やってみたほうがいい』と言われたんです。そこから、迷ったときはとにかくチャレンジしてみようと決めました」。

多職種とともに地域の人々の健康を守るお手伝い

地域医療にやりがいを見出した飯塚さんは、介護老人保健施設から自宅へ戻る患者様の支援に関わったり、薬局の在宅部門の立ち上げに携わったりと、地域医療や在宅医療に特化した薬剤師として活動を続けてきました。

「大きなきっかけというよりは、病院に勤めていた頃からなんとなく“在宅医療は大切”という考えが根底にあったのだと思います。病院や窓口で話しているだけではわからない、その方の生活全体が見えるので、患者様と関わる上でとても重要な情報を得られると感じています」。

多職種とともに地域で暮らす人々の健康を守りたいと話す飯塚さん。病院にいても、薬局にいても、さまざまな職種のスタッフとコミュニケーションをとって働くことを心がけています。

「患者様はそれぞれ年齢も違いますし、生活状況も一人ひとり異なりますので、その方に合った薬剤が適正に使用できるよう、今自分に何ができるのかをよく考え、多職種と一緒にお手伝いしています。直接顔を見て伝え合い、情報を共有することを大切にしていますし、今後も心がけていきたいと思っています」。

心に引っかかっていた、ボランティアへの思い

飯塚さんが、薬剤師として災害ボランティアに関わったのは、2015年に起こった常総水害です。JMAT(日本医師会災害医療チーム)の一員として、避難所の支援を実施。また、翌年の2016年に起こった熊本地震では、茨城県の支援薬剤師チームとして、南阿蘇村の支援を行いました。

「もともと、東日本大震災が起こったときにボランティアに行きたいと思っていたのですが、職場から許可が下りず、子どもも小さかったので断念してしまったんです。それがずっと心に引っかかっていて、常総水害の際に災害医療を学ぼうと決意し、日本災害医療薬剤師学会や日本災害医学会の研修に参加するようになりました」。

避難所での生活は、人々に大きな不安や緊張、ストレスをもたらします。避難所で悩みや不安を感じている方と関わる上で、飯塚さんは医療者としての目線だけではなく、人と人とのつながりを意識して接していたと話します。

「『24時間いるから何かあったら声をかけてね』とお話をしていました。傾聴することしかできませんでしたが、医療従事者と患者としてだけではなく、隣に座ってお話を聞くことを心がけていたら、少しほっとしたのか『ありがとう』とか『元気もらえたよ』と言っていただけて、とても嬉しかったです」。

私たちの関わりで、少しでも笑顔になってほしい

被災地でボランティア活動を行う薬剤師の仕事は、処方の補助や調剤・投薬に加え、近隣薬局・医療機関・多職種との連携、モバイルファーマシーとよばれる災害対策医薬品供給車両の運営、避難所の環境衛生検査など多岐にわたります。

「災害の支援をするにあたって、研修を受けておくことはもちろん重要だと思います。ただ、基本的には病院や薬局の日常業務と何も変わらず、普段の業務の大切さに気づくことも多いです。災害の中で皆様辛い状況にあるので、私達の関わりで少しでも笑顔になっていただけたらいいなと思っています」。

避難所での生活は深部静脈血栓症/肺塞栓症(エコノミークラス症候群)をはじめとする災害関連死につながる可能性があるといわれています。そんな中、飯塚さんは学校薬剤師の経験をいかしてさまざまな支援に取り組みました。
その取り組みの一つが、避難所でもともと行われていた朝のラジオ体操の環境づくりです。閉め切った体育館で一斉にラジオ体操を行うと、室内の二酸化炭素濃度が非常に高くなることがわかり、ラジオ体操を行う際は換気をするよう指導を行ったそうです。

「医療者として学んでいた公衆衛生や、学校薬剤師の経験がいきることも多くあるのだと気づきました。ボランティア同士で常に情報を交換し合い、“今自分にできること”を常に考えていました」。

楢葉町の復興とならは薬局

震災の爪痕が「心に突き刺さった」

楢葉町は東日本大震災で最大震度6強の地震と最大10mの津波により、死者・行方不明者は13名、浸水家屋は125戸と大きな被害を受けました。さらに、福島第一原子力発電所の20km圏内の帰還困難区域に指定されたことで、地域住民の生活は大きく変わらざるを得なくなりました。
その後2015年に避難指示が解除され、住民が戻りつつあった楢葉町には、もともと3か所の薬局がありましたが、避難指示解除後も営業が再開できない状況が続いていました。町内の復興診療所には薬剤師が常駐していたものの、薬局開局の需要は高く、楢葉町が設立した「ならは薬局」の運営を福島県復興支援薬剤師センターが担うことになりました。

その頃飯塚さんは、仙台で行われた学会で浜通り(福島県東部エリア)の復興支援が求められていることを知り、依頼を受けて支援を行っていました。

「避難指示が解除されていたので、生活はできていると思っていたんです。けれど、お店のガラスが割れていたり、室内がめちゃくちゃになっていたりと、震災が起こったときのままバリケードで封鎖されていました。除染もされず、取り壊しもできない状態に本当に驚いて、『まだこういう状態なんだ』と心に突き刺さったのを覚えています」。

浜通りで支援を行っていく中で知人から楢葉町で薬局が求められていることを聞き、ならは薬局に関わることを決意しました。

「浜通りの支援に入っていなければお断りしたかもしれません。ただ、被災地の現状を知って自分にも何かできることがあれば、と思ってならは薬局に行くことにしました。避難地域であった場所に行くことに対して、不安がなかったといえば嘘になると思います。けれど、戻ってきた住民の皆様に地域医療の推進が望まれていて、実際に頑張っている人も大勢いる。それが私の不安に勝った、ただそれだけでした」。

楢葉町に「初めて来た」感覚がなかった

浜通りの中でも南側に位置する楢葉町。太平洋に面し、比較的温暖な気候が魅力です。そんな楢葉町を初めて訪れた飯塚さんは、どこか懐かしさを覚えたそうです。

「楢葉町に、いい意味で何も違和感を感じなかったんです。主人の実家のある山梨と雰囲気が似ていて、住むことになった家は実家の間取りととてもよく似ていて。新たな環境でしたが、懐かしい感じがして落ち着きました。よく『慣れた?』と住民の方から聞かれることがあるのですが、慣れたというより元からよく知っていたような不思議な感じがしました」。

2022年10月時点で4,200人を超える住民が帰還した楢葉町。飯塚さんは患者様から「住み慣れた町に帰りたかった」という思いを聞くことが多いそうです。特に、高齢の方は避難先の生活に馴染めなかったり、体を動かす機会が減って体調を崩してしまったりすることもあり、楢葉町に帰りたいという思いが強いのではと話します。

そんな楢葉町に戻ってきた患者様一人ひとりにあわせてサポートを行うならは薬局のスタッフを、飯塚さんは「チームならは薬局」とよんでいます。2名の薬剤師と調剤補助も担う事務スタッフ、近隣の町から応援で来てくれる応援薬剤師と、全てのスタッフが一人ひとり患者様のことを思って日々活動しています。また、患者様に対してだけではなく、スタッフ同士も思いやりをもって日々の業務に取り組むことを心がけているそうです。

「患者様が来局されたときには歩き方や話し方、お金のやり取りなどを見て、いつもと違う様子がないか、事務の方が気づいてくれることも多いです。処方箋がなくても、お散歩の途中に寄り道できるような、地域の皆様に愛される薬局になればいいなと思っています。また、スタッフ同士もその時々で抱える問題があると思うので、お互いフォローし合える環境にしていきたいです」。

一人ひとりの生活に寄り添い、
医療・介護・福祉をつないで、心を惜しまず支援する

エネルギーの源は、「人とのつながり」

飯塚さんが目指すのは、「一人ひとりの生活に寄り添い、医療・介護・福祉をつないで、心を惜しまず支援する」こと。薬剤師として何ができるかを考え続けていたときに、以前勤めていた薬局の理念であるこの言葉に、薬剤師としての生き方を見つけたといいます。

福島の復興に寄り添い、ともに歩んできた飯塚さん。現在は楢葉町の健康を守りながら、災害医療支援薬剤師、在宅医療専任薬剤師としての経験をたくさんの人に広める活動や、薬学生・若手薬剤師の育成にも力を入れています。

そんな飯塚さんのエネルギーの源は、「人とのつながり」。お互い声をかけ合いながら活動することに大きなやりがいを感じ、薬剤師の仕事を楽しんでいます。

「楢葉町やこの近隣の地域は、都市部に比べて医療資源やサービスが少ないのが今の課題です。人員が足りなくてどうしてもできないこともありますし、患者様は通院時間もかかり、ご家族が疲れてしまうといったことも多いです。だからこそ、多職種が連携して活動し、本当の意味で地域に密着していくことが大切だと実感しています。学生さんや若手の薬剤師さんには、地域に密着した医療を、機会があればぜひ経験してほしいですね」。

10年以上が経った今も、たくさんの人々の記憶に残る東日本大震災。復興の続く福島で、飯塚さんの穏やかな笑顔は、たくさんの「人とのつながり」を広げていくのでしょう。

(取材実施:2022年10月)
編集:学校法人 医学アカデミー